"与える"ということの危険

今日つくづく思ったこと。

これはその人にとって本当に必要なものなのか?ということを自問して吟味してから行動しないとその人のためにならないことが往々にしてある。

きっと子育てをしている親にとっては当たり前のことなんでしょうが、今日は教会学校のスタッフをする中ですごくいい経験することができました。大人の軽率な行動は子供を駄目にする。子供が欲しいものに対してホイホイと軽々しく与えれば、その子はある種の勘違いをする。その勘違いのせいで変な価値観を持つようになりその子は駄目になる。

でもそれは子供のせいではなくて大人のせいだと思う。

今日はある人がとった行動によって子供達がなんか勘違いをしていたのでまず子供達に説教したのですが、真剣に話をし合わないといけないのはその行動をとった大人なんだよとすごく感じた。

今日、僕は結局のところ子供達がせがむものをあげませんでした。なぜかと聞かれればそれはその子にとって本当に必要なものではないからと感じたから。なんで僕が子供達が欲しいものをあげなかったのかを子供達に一から説明しました。

...

あげない理由を全部説明し終わってから、子供達にこんな質問をしました。

「今僕がきみたちに○○をあげるのはおかしくない?」

すると子供達はこんな風に応えました。

「うん、おかしい、俺だったらあげない」

子供は賢い。子供の分かる言葉で説明すれば子供は納得する。

僕は今日すごくいい経験をした。

で、こう思った。子供達が「なんで?」という問いを持っているときはそれを子供が分かる言葉まで砕いて説明する責任があるんだな、と。

P.S. "愛"というのは人が本当に欲っしているものだと思うし、本当に必要なものだからこそイエス様は出し惜しみしたりはしない。因みに今日は十字架の話でした、来週は復活の話だよ。今年は早めのイースター。

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1984/07/05生 プログラマー

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