「知って、信じる」のではなく「信じて、知る」。
今日は教会で結婚式があったのだけど、それに際して牧師さんがこんなニュアンスのことを話してた。
結婚は相手のことを全て知って納得したからするのではない。相手を信じることができるのであればもう結婚できるんだ。そして結婚してから相手のことを知っていくんだ。
「確かに」と思った。まだ結婚の経験はないけど、分かる気がする。
今の会社は二つ目なんだけど、会社のことを全て知って全て納得したから今の会社に決めたんじゃない。全ては知らないけれども、その会社を自分は信じれると思ったから転職を決めることができたんだと思う。僕が信じたのは会社というよりも限りなく「人」に寄っているのだけれど。
もちろん信仰生活もそう。聖書のことを全て知って納得したから信じたんじゃない。多分そんなこと不可能。ある段階で聖書の言を信じることができて、そこで洗礼を受けて、そしてそこから「知る」ということの歩みを進めているんだと思う。
「信じて、知る」
そんなことを思い返した日曜日でした。
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